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「訪問看護って何してるの?」に本気で答えてみた〜病院勤務しか知らなかった僕が、外に出たら見えた世界〜


⸻ 「訪問看護って、何してるんですか?」 この質問、もう100回くらい聞かれました。 看護師に、医師に、ケアマネに、近所の人に。 中には、「え、病院辞めて看護師できるんですか?」なんて言われたことも。 ……できます。というか、できますどころか、「めちゃくちゃ看護してます」って、心の中では叫んでます。 ⸻ ■ 訪問看護は“たった1人”じゃない。“1人で全部”やるんだ。 訪問看護は、基本的に1人でご自宅にうかがいます。 これを聞くと、「孤独そう」「不安じゃないの?」という反応が返ってきます。 でもね、正直に言って…… 「自由すぎて、病棟戻れないかもしれません」。 もちろん、自由には責任がついてくるし、緊急対応もある。 でも、その場で判断して、その人の生活と病気と人生に、真正面から向き合う。 それが、訪問看護の醍醐味です。 ⸻ ■ 今日の訪問、どんな一日だったかというと。 朝8時。看護師たちが事業所に集まってきます。 アカラケアでは笑顔とコーヒーが飛び交い、雑談からスタート。 「昨日のご家族、涙ぐんでたね」「あの方、ついにベッドから自分で起きたよ!」 そんな何気ない報告が、チームの空気をつくっていきます。 そこから、午前2〜3件、午後も2〜3件訪問。 ある日は、褥瘡の処置をし、次の家では点滴管理。 午後には認知症の方と一緒に折り紙を折って、「昔は孫とやったのよ」と語ってくれる。 医療処置だけじゃない。 訪問看護の“看護”には、「生活」に踏み込む力が求められます。 ⸻ ■ 病院と違う、“患者さん”じゃなく“人”をみる仕事。 訪問先に行くと、最初に目に飛び込んでくるのは、その人の生活そのもの。 カレンダーに孫の誕生日、テレビの横には長年の写真、食卓には昨夜の残りの煮物。 これらすべてが、その人の「背景」なんです。 病院では、白い壁と清潔なシーツの中で、どこか“患者さん”になってしまう。 でも、訪問先では“その人の人生”が、空間すべてからにじみ出ている。 この人が、どう生きてきたか、何を大事にしてきたか。 それに気づいてから、やっとケアが始まります。 ⸻ ■ “答えのない現場”が面白い。 訪問看護は、教科書通りにはいかない連続。 例えば、血圧が高いのに「畑に行きたい」と言われたらどうするか? 答えはひとつじゃない。 「この人にとって、今大切なのは何か?」 それを、迷って、悩んで、チームに相談して、判断する。 たまに先輩に泣きついて、笑われて、でも最後に「いい判断だったね」と言われる。 その瞬間が、たまらなく嬉しい。 ⸻ ■「正解はないけど、不正解にしない」仕事。 ある利用者さんが、最期に言ってくれた言葉が忘れられません。 「あなたが来てくれるだけで、安心するの」 何か特別なことをしたわけじゃない。 でも、“来ること”そのものが看護になっていた。 訪問看護って、ある意味で「信頼の継続」が全てです。 今日は信頼を積んで、明日もまた積んで、ある日それが“看取り”につながる。 だから僕らは、日々の一つひとつの訪問に、ちゃんと意味を持たせていきたいと思っています。 ⸻ ■ まとめ:看護が「技術」じゃなく「関係性」になる瞬間 「訪問看護って何してるの?」と聞かれたら、僕はこう答えます。 “人の暮らしに寄り添って、その人の望む人生を支える看護”をしています。 病院でできなかったことが、ここではできる。 ルールの中では難しかった“その人らしさ”を、家の中で守れる。 訪問看護は、看護の原点に立ち返る場所かもしれません。


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