「訪問看護って何してるの?」に本気で答えてみた〜病院勤務しか知らなかった僕が、外に出たら見えた世界〜
- 管理者

- 7月16日
- 読了時間: 3分
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「訪問看護って、何してるんですか?」
この質問、もう100回くらい聞かれました。
看護師に、医師に、ケアマネに、近所の人に。
中には、「え、病院辞めて看護師できるんですか?」なんて言われたことも。
……できます。というか、できますどころか、「めちゃくちゃ看護してます」って、心の中では叫んでます。
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■ 訪問看護は“たった1人”じゃない。“1人で全部”やるんだ。
訪問看護は、基本的に1人でご自宅にうかがいます。
これを聞くと、「孤独そう」「不安じゃないの?」という反応が返ってきます。
でもね、正直に言って……
「自由すぎて、病棟戻れないかもしれません」。
もちろん、自由には責任がついてくるし、緊急対応もある。
でも、その場で判断して、その人の生活と病気と人生に、真正面から向き合う。
それが、訪問看護の醍醐味です。
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■ 今日の訪問、どんな一日だったかというと。
朝8時。看護師たちが事業所に集まってきます。
アカラケアでは笑顔とコーヒーが飛び交い、雑談からスタート。
「昨日のご家族、涙ぐんでたね」「あの方、ついにベッドから自分で起きたよ!」
そんな何気ない報告が、チームの空気をつくっていきます。
そこから、午前2〜3件、午後も2〜3件訪問。
ある日は、褥瘡の処置をし、次の家では点滴管理。
午後には認知症の方と一緒に折り紙を折って、「昔は孫とやったのよ」と語ってくれる。
医療処置だけじゃない。
訪問看護の“看護”には、「生活」に踏み込む力が求められます。
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■ 病院と違う、“患者さん”じゃなく“人”をみる仕事。
訪問先に行くと、最初に目に飛び込んでくるのは、その人の生活そのもの。
カレンダーに孫の誕生日、テレビの横には長年の写真、食卓には昨夜の残りの煮物。
これらすべてが、その人の「背景」なんです。
病院では、白い壁と清潔なシーツの中で、どこか“患者さん”になってしまう。
でも、訪問先では“その人の人生”が、空間すべてからにじみ出ている。
この人が、どう生きてきたか、何を大事にしてきたか。
それに気づいてから、やっとケアが始まります。
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■ “答えのない現場”が面白い。
訪問看護は、教科書通りにはいかない連続。
例えば、血圧が高いのに「畑に行きたい」と言われたらどうするか?
答えはひとつじゃない。
「この人にとって、今大切なのは何か?」
それを、迷って、悩んで、チームに相談して、判断する。
たまに先輩に泣きついて、笑われて、でも最後に「いい判断だったね」と言われる。
その瞬間が、たまらなく嬉しい。
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■「正解はないけど、不正解にしない」仕事。
ある利用者さんが、最期に言ってくれた言葉が忘れられません。
「あなたが来てくれるだけで、安心するの」
何か特別なことをしたわけじゃない。
でも、“来ること”そのものが看護になっていた。
訪問看護って、ある意味で「信頼の継続」が全てです。
今日は信頼を積んで、明日もまた積んで、ある日それが“看取り”につながる。
だから僕らは、日々の一つひとつの訪問に、ちゃんと意味を持たせていきたいと思っています。
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■ まとめ:看護が「技術」じゃなく「関係性」になる瞬間
「訪問看護って何してるの?」と聞かれたら、僕はこう答えます。
“人の暮らしに寄り添って、その人の望む人生を支える看護”をしています。
病院でできなかったことが、ここではできる。
ルールの中では難しかった“その人らしさ”を、家の中で守れる。
訪問看護は、看護の原点に立ち返る場所かもしれません。
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