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なぜ私は「訪問看護が最高の看護」と言い切れるのか〜すべての経験が、ここで生きる〜



「病棟と訪問、どっちが大変ですか?」

「やっぱり訪問って孤独じゃないですか?」


こんな質問を受けるたびに、僕は少し微笑んで、こう返します。


「訪問看護こそ、看護師のすべてが問われる場所だと思います」


言い換えれば、“最高の看護”ができるフィールド。

”最高の看護”の、”最高”とは下記のように定義します。

・看護師にとっては”高レベルの対応力が必要”ということ。

・利用者にとっては”自宅で超最適な療養環境で看護提供を受ける”こと

今日はその理由を、語らせてください。



■ ① 五感すべてがフル稼働。経験も知識も“全部使う”


訪問看護では、処置も観察も説明も、すべて1人で完結させなければいけません。

頼れる医師も薬剤師も、隣のベッドもありません。

そこにあるのは、ご本人の人生と、家の空気と、家族のまなざし。


だから、看護師のあらゆる引き出しが必要です。

•「あれ?この表情、先週と違う」

•「いつもより冷蔵庫の中が空だな…食欲が落ちてる?」

•「ご家族の返事が上の空だ。もしかして疲弊している?」


聴く力、見る力、感じ取る力、察する力…

病棟での経験すべてが、在宅でフル活用されます。



■ ② 教科書の“正解”より、その人にとっての“最適解”


訪問看護に正解はありません。

あるのは、「この人にとって、今日この瞬間、何が最適か?」という問いだけです。


たとえば…

•血圧が高くても、あえて服薬を遅らせて外出を優先したり

•皮膚トラブルに対して、市販薬を組み合わせて対応したり

•最期の数日を、点滴よりも家族との会話を優先したり


病棟だったら“NG”かもしれないことが、

在宅では“生き方を守る判断”になることがある。


これが、訪問看護の奥深さ。

ルールを破るんじゃない。【その人に寄り添う“理由ある選択”を重ねる】

これが大事。



■ ③ “関係性”を築く力が、ケアの質を決める


訪問看護で最も重要なのは、「信頼関係」です。

病院のように「決まった時間」「決まった流れ」じゃありません。


今日はおしゃべりが止まらない日かもしれないし、

明日は「もう来なくていい」と言われるかもしれない。


でも、訪問を重ねるうちに、

利用者さんが言ってくれるんです。


「あなたが来ると、安心する」

「顔を見ると、ほっとする」

「じゃあ、来週も待ってるね」


この“関係性”こそ、訪問看護職員が持てる最大の武器。


点滴がなくても、吸引がなくても、医療的行為がなくても

そこに“あなたがいる”ことがケアになる。

ケアの定義が病院と在宅で変わってくるのかもしれません。



■ ④ チームプレーの“見えない連携”がすごい


訪問看護って、一人で行動してるように見えて、実はチームプレーの塊です。

•担当者会議でケアマネと今後の支援をすり合わせ

•医師に微妙な変化を電話で報告

•訪問介護と入浴日程を調整

•相談員と緊急時の対応ルートを確認


全部、**裏で張り巡らされた「つながりの技術」**があるからこそ成り立っています。


個人技だけじゃない。

チームの中で、「私は何ができるか」を考え続ける力が磨かれる。

それがまた、看護師としての視野を広げてくれるんです。



■ ⑤ 最後に立ち会う“重み”と“誇り”


看取りの瞬間に立ち会うこともあります。

静かに、穏やかに、息を引き取るそのとき。


「ありがとう、ここで最期を迎えられてよかった」と

ご本人やご家族に言っていただけることがあります。


僕たちは、ただ医療を届けてるんじゃない。

「その人の人生のラストシーン」を一緒に作ってるんです。


これができる看護の現場って、少ないんじゃないかなーと思うんです。



■ まとめ:「最高」って、たぶん“全部ある”ということ


訪問看護には、

知識も、技術も、判断も、対話も、哲学も、全部詰まっています。


“訪問=病棟よりゆるい”なんて思ってた昔の自分に言いたい。


**「お前、訪問看護をゆるい現場と思ってちゃダメよ」**と。


だけど同時に、

**「お前、こんな面白い仕事に出会えてラッキーだったな」**とも言いたい。


訪問看護は、“最高の看護”です。

だって、ここにしかない看護が、確実にあるから。

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