「看取り件数30件超」アカラケアが見つめる“最期まで自宅で”の現実 〜命のそばで、看護師ができること〜
- 管理者

- 7月26日
- 読了時間: 4分
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「最期まで、家で過ごしたいんです」
この言葉は、利用者本人からだけじゃなく、家族からもよく聞かれます。
在宅医療の世界では、“在宅看取り”という言葉がようやく広まりつつありますが、 いざ現場では、「何をどうすればいいの?」と戸惑うご家族がほとんどです。
そんなときに頼られるのが、在宅介護サービスの訪問診療、訪問介護、訪問薬剤、そして訪問看護です。 僕たちは「生きる」を支えると同時に、「死にゆく」を支える役割も担っています。
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アカラケアが、なぜ看取りにこだわるのか アカラケア訪問看護ステーションでは、年間30件以上の自宅看取りを行っています。
これは数字にこだわるのでは無いし、件数を増やすことが目的ではありません。
「その人が望んだ場所で、その人らしく生きていけるか」が、僕らの判断基準です。
病院や施設での最期が悪いわけじゃなく、その人の置かれた環境的に適切な場で最期を迎えることが重要だと思います。 でも、病院では叶わなかった“ありがとう”が、自宅では言えることがある。 点滴よりも、最期に飲んだ一口のお茶やジュース、アイスなどが、命の灯火になることもある。 多くの看取りを体験してきて、そんなふうに感じています。
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看取りって、実は“すごく日常的”なこと 「看取り」っていうと、すごく特別で、神聖なイメージを持たれます。 でも、実際は“生活の延長”と考えています。 いつも通り挨拶して、 今日はどんな表情か見て、 お部屋の温度や湿度を確認して、 食事が摂れなければ、家族と相談して方法を変える。 その小さな積み重ねが、最期の時間に繋がっていくのだと思います。 いざというときには、僕らが家族の代わりに体をさすったり、 「よく頑張りましたね」と声をかけたりします。 ドラマチックではない。でも、限りなく深いし正解も不正解もない。 利用者・家族の満足度が重要。 それが“在宅看取り”です。
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ご家族の葛藤と、そのそばにいる看護師 ある日、末期がんの利用者さんの家にうかがったときのこと。 奥さんが「本人の痛みがひどくて、私、見ていることも辛いです」と言われました。 僕は、医師と相談して痛み止めの方法を調整しつつ、 奥さんにはこう伝えました。 「奥さんが“もう無理かも”って思ったら、すぐ教えてください。 支援者は“家族が頑張りすぎること”を望んでいません」と。 それを聞いた奥さんは、安心したように肩の力を抜きました。 看取りは、本人だけでなく、家族の為のケアでもあります。
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看取りの“スイッチ”が入る瞬間 訪問看護では、利用者さんの容態が変化するたびに 「これは最期が近いかも」と感じる瞬間があります。 食欲が落ちる 尿量が減る 起きている時間が減る 呼吸のリズムが変わる こうした変化を察知し、ご家族に伝えるとき、 言葉選びはとても慎重になります。 「いまの状態は、“旅立ちの準備”が始まっているかもしれません」 「そばにいる時間を大切にできるよう、私たちも一緒に見守ります」 急がせず、恐れさせず、でも現実から目を背けない言葉を。 そのバランスが、”訪問看護師としての技術”かなと思っています。
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看護師が泣いてもいい職場でありたい あるご利用者さんの看取りの後、「ご家族の想いに寄り添えたかな」と悩むこと、涙することもあります。 看護師も人間だから、感情があって当然。 そしてその感情を“出せる職場”が、その事業所の良さだと思っています。
⸻ ■ まとめ:命の終わりを支えるということ
「死に方は、生き方の集大成」 そんな言葉があります。
訪問看護師として、最期の時間に立ち会うことは、 その人の人生に“看護師としての名刺”を差し出すようなことだと考えています。
アカラケアでは、命を支える看護と同じくらい、 命を見送る看護を大切にしています。
それは、数字には残らないけれど、 心にはずっと残る仕事だと思っています。
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